百景図の歩き方

殿様も歩いた(?) 三本松城への道

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津和野百景図そのものが、藩主亀井茲監が歩いた(訪れた)津和野藩の風景を書き記したもの。この当時、藩侯が城を登ることはあまりなかったかもしれませんが、今も昔も三本松城は津和野城下町の象徴です。
高低差と視点の移り変わりで、風景が大きく変わるコースです。

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津和野町日本遺産センター

津和野町日本遺産センターで、津和野百景図の解説を聞いて出発しよう。
各スポットの見どころもご案内します。

徒歩10分
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殿町

多胡家老門、大岡家老門(復元)などが並ぶメインストリート。カトリック教会や花菖蒲が咲き(毎年6月ごろ)、鯉が泳ぐ掘割をのんびり散策。

徒歩10分
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弥栄神社(やさかじんじゃ)

鷺舞神事が奉納される神社です。
幕末当時の雰囲気が残り、また弥栄神社が遷座する前からあったという大ケヤキのご神木も見どころです。
川沿いの石垣も幕末当時のものが残っています。

約15分
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太皷谷稲成神社

現在は日本五大稲荷に数えられるほど、崇敬されていますが、当時は三本松城(津和野城)の鬼門の守りでした。
下からの参道はなく、庶民の参拝はあまり行われていませんでした。描かれているお社は、今も元宮として参拝できます。

徒歩15分(城山観光リフト除く)
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三本松城出丸

城山観光リフトの降り口から歩いて10分ほど。
出丸は本丸の北側にあって正中元年(1324)、吉見直行が本丸を増築の際に築造しました。江戸時代になって坂崎直盛(さかざき・なおもり)によって石垣が築かれ、織部丸とも中入丸、出丸とも呼ばれています。現在は石垣のみが残っています。

徒歩5分
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三本松城

能登の国から来た吉見頼行(よしみ・よりゆき)が永仁3年(1295)にここに城を築いたのが始まりで慶長5年(1600)坂崎出羽守直盛が城主に、元和3年(1617)鳥取の鹿野(しかの)城主であった亀井政矩(かめい・まさのり)が着任、その後明治4年(1871)の廃藩まで亀井氏が城主を勤めました。明治7年に建物は解体され石垣のみが残ります。

徒歩30分(観光リフトで下山の場合)
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嘉楽園

藩主・亀井氏の住居兼政務所である藩侯館(御殿)は現在、嘉楽園や津和野高校になっています。
藩侯館の庭園部分が嘉楽園になっています。また【第十八図】に描かれている物見櫓も嘉楽園に移築されています。また百景図の主人公であり、明治24年(1891)に作られた亀井茲監の銅像もあります。

徒歩3分
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馬場先櫓

【第十二図】に描かれている馬場先櫓は現在も同じ位置に残っています。藩侯館の正門は現在、津和野高校のグラウンドの門になっています(説明看板あり)。

徒歩10分
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津和野大橋(大橋)

下中島と殿町との間に架けられている橋を大橋という。この橋はもともと跳ね橋で、あまり例がない橋でした。百景図のころも普通の架け橋になっていたが、現在はコンクリートの橋になっています。橋のたもとの松(現在は2代目)も残され、風情が保たれています。