投稿日:2022年06月15日
大きく分類してみると⇩
・武家 5,296人 (8%)
内分 津和野住居 5,012人
江戸住居 179人
大阪住居 25人
廿日市住居 80人
・町人 2,038人 (3%)
内分 お坊さん、商人など…
・お百姓さんなど 61,451人 (89%)
内分 百姓さん 59,381人
たたら鍛冶 1,061人
その他 1,009人
*「於柕呂我中」より
(おどろがなか)
武家が人口の8%、その内江戸の屋敷には亀井家の奥方と子供達、家臣など、合計で179人も住んでいました。
少数派の武家がこの世を牛耳っていたと思うと、今の時代とそう変わらない気がしますね。
お百姓さんなどの89%の内、1,000人以上はたたら鍛冶の職人。これほど多いとは驚きです。
津和野藩の面積で現在の人口と比べると、現在は随分少なくなっています。
上記の4年前、弘化3年時(1847年)の津和野藩の人口は66,255人なので、4年間で2,530人も増えている事になります。一年に約632人増加!!凄まじい速さです。
昔は城下町だったので、武士を相手に商人が栄え、その面影が今でも本町通りに残っています。