投稿日:2016年12月27日
御旗上覧は五月五日の行事である。
この日は五節句の一つ端午の節句で、将軍家でも重大行事の日であった。
地方の大名もそれに準じてお祝い事をしていたようである。
端午の節句は菖蒲の節句ともいう。
菖蒲」は「尚武(武をたっとぶ)」に通じるということで、
軍旗や馬印の幟をはためかせて、殿様の武運長久を祝っていたのだ。
旗奉行を先頭に、軍旗を背にした足軽隊が緊張の面持ちで続いている。
実際は旗一本に綱持ちも合わせて三人付いたようだが、二人は省略されている。
笠や旗の上に赤い地に丸一印。このマークに見覚えはないだろうか?
実は32図、46図、52図にも出ている。行列の先頭の次に鞭を持った二人の伊賀者。
その二人の羽織についているマークがこれだ。
〇に横一。漢字に直せば朝日の「日」という字になる。
これこそが、玆監候直属の親衛隊「朝日組」の印なのだ。
家臣の中でも特に文武に優れ、品行方正なる人材を充てたとか。
風雲急を告げるとき、即座に動かせる兵隊が藩主には必要だったのである。
この称号をもらえることは、藩士にとっては非常に名誉な事だったに違いない。
さてこの絵、藩主やそれに控える重臣たちが、一段高いところから軍旗の行進を眺めている。
小さいことだが、殿様の刀持ち。ちゃんと袱紗に巻いて鞘を持っている。
鞘に漆が塗ってあるため、手の脂や指紋が付きやすいためだ。格斎さんも正確に描写している。
気になるのは、旗持ちの足軽隊の持っている杖のようなもの、あれは一体何だろうか?
綱を持った二人がついていたということは、最終的にはあの棒を立てて、旗を括り付けておくのだろうか?
知る人がいたら教えて欲しい物の一つだ。
さて、この端午の節句の行事。当初は武士のものだったが、だんだん庶民の間に広まり、
鯉のぼりをあげ、男の子の健やかな成長を願う行事となり、果ては「こどもの日」となってしまった。
付記 朝日組のマークであるが、これは初代玆矩公の時、日輪社に祈願をした時用いた
と他の資料に出ていた。それ以来亀井家の替紋(別紋)として使われていた。
ということで、日輪社の日の意味が濃い。勿論定紋は角立てよつ目結紋である。