百景図よもやまばなし

第95図 連理の松は何処へ 

投稿日:2016年12月13日

高津の浜は、津和野藩の物資の津出しをする場所である。

と同時に北陸や大阪、九州などから物資の届く場所でもあった。

この連理の松のあった神社は琴平神社である。

海上交通の拠点であったため、船乗りの守り神であるこの神社があったのだ。

この連理松の跡を見ようとここに来たら、土地の人がこんなことを言っていた。

「ここの浜は遠浅で浅そうてなー。大きな船はよう入ってこれんだった。それでのう、底が深うのうて、

 平たい特別な船に積み込んで、沖で待つ大きな船に乗せよった。」と。

確かに今でも大水の度に河口が変化しているし、砂の堆積も多い。さもありなん話である。

北前船が持ち帰った北方の産物を、蓬莱の宝「蓬莱栄」と呼ぶところから、

ここの夏祭り「ホーライエー」が起こったといわれている。

さて、この絵の景色であるが、現地へ行ってみると、神社の後ろから見た景色のようである。

後ろから見ると、右が男松になり、その先に遠くの海が鎌手へ延びるのが分かるような気がする。

正面からだと反対で海は見えない。蟠龍湖辺りの山になる。

現在は高い建物が詰まっており、とても絵のような海は見えない。

夫婦仲の良い象徴のような連理松も、世相を反映したのかマツクイムシに倒されてしまった。

今はバス停の名前として残るのみになってしまった。

このセンターには、女松を切った時の一部を飾り板として遺した物がある。

然る人からの借り物であるが、是非ご覧になって当時を偲んでいただきたい。

  

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