投稿日:2016年12月13日
高津の浜は、津和野藩の物資の津出しをする場所である。
と同時に北陸や大阪、九州などから物資の届く場所でもあった。
この連理の松のあった神社は琴平神社である。
海上交通の拠点であったため、船乗りの守り神であるこの神社があったのだ。
この連理松の跡を見ようとここに来たら、土地の人がこんなことを言っていた。
「ここの浜は遠浅で浅そうてなー。大きな船はよう入ってこれんだった。それでのう、底が深うのうて、
平たい特別な船に積み込んで、沖で待つ大きな船に乗せよった。」と。
確かに今でも大水の度に河口が変化しているし、砂の堆積も多い。さもありなん話である。
北前船が持ち帰った北方の産物を、蓬莱の宝「蓬莱栄」と呼ぶところから、
ここの夏祭り「ホーライエー」が起こったといわれている。
さて、この絵の景色であるが、現地へ行ってみると、神社の後ろから見た景色のようである。
後ろから見ると、右が男松になり、その先に遠くの海が鎌手へ延びるのが分かるような気がする。
正面からだと反対で海は見えない。蟠龍湖辺りの山になる。
現在は高い建物が詰まっており、とても絵のような海は見えない。
夫婦仲の良い象徴のような連理松も、世相を反映したのかマツクイムシに倒されてしまった。
今はバス停の名前として残るのみになってしまった。
このセンターには、女松を切った時の一部を飾り板として遺した物がある。
然る人からの借り物であるが、是非ご覧になって当時を偲んでいただきたい。