投稿日:2016年11月25日
船は多くの出会いの喜びを演出してくれるが、別れの寂しさも然りである。
喜びが大きければ大きいほど、哀しみも大きなものとなる。
この渡船場の別れも、何とも切ないドラマを感じさせる。
この別れは一体何だろうか?
手前で大きく手を振るのは歳を取った父とその息子だとすると、
船に乗って別れていく相手は誰だろう。
「船に乗っているのは、嫁にやる娘だよ。真ん中に立つのは白無垢姿だよ」
「いやいや、遠くに奉公に出す娘との別れだよ」
と、この絵を見た人たちが想像を巡らせる。
確かにそれほどのつらい別れはない。
先日、何とはなしにパソコン画面でこの絵を大きくして見て気が付いた。
なんとこの船に乗っている一番右端の人物、座っているのは男性で、赤ん坊を抱いているのだ。
してみると、生まれた子供と若い旦那を連れ、今まで実家に里帰りをしていたのではなかろうか。
手を振るのは、初孫のおじいちゃんとおじさんになった二人だ。
孫は目に入れても痛くないという。「風邪をひかすなよー。又帰ってこいよ。」
そんな声が聞こえてきそうである。久しぶりに実家に帰り、里の温かさに抱かれた娘さんも、
今また嫁ぎ先の姑の待つ家に戻らねばならない。
舟は静かに川下に流れて行き、お互いの顔も分からぬくらいに遠く離れていくのであった。
以上、若しかしたら私の単なる妄想かもしれない。
因みにこの川向うへ立つお寺、横田にある浄土真宗本願寺派の「正法寺」だろうといわれている。
この寺には1866年6月16日、石州口の戦いに出た大村益次郎率いる奇兵隊1300余名が、
宿泊したと記されている。その日は扇原の関門で、かの有名な岸静江国治が戦死した日だ。
後日談 子どもを見せに里帰りという考えは、やはり甘いのではないかと思うようになった。
いかにも今日風である。嫁にやった娘は、そう簡単には里帰りはできない時代である。
当時は親が結婚式についていけるものではなく、自分の家を出れば今生の別れとなる。
そう考えると嫁にやる別れの方が、このシーンにはぴったりする。