百景図よもやまばなし

第69図 外堀の終点森の下手

投稿日:2016年10月19日

鷗外屋敷から外堀が約一キロメートル続いてきたが、この絵の先が終点となる。

向こうに総門と石垣が見える。道路には8人の人の姿。

ややっ!坊主頭。まさかこの人もこの絵を描いた茶坊主の格斎さんなのか?

番傘を手に着流しの侍さんらしき人物と話している。(背筋の伸びがとても町人とは思えない)

津和野は昔から雨の多いころで、「弁当は忘れても傘は忘れるな」と年寄りがよく忠言する所である。

青野山に雲がかかっているのか、用心の傘を忘れずに携帯している。

格斎さんかもと書いたが、幕末の頃、お数寄屋番は少なくとも4人はいたので、若しかしたらその一人かもしれない。

棒手振(ぼてふり)もいるが魚売りだろうか?

津和野藩は日本海まで藩領を持っており、海から約三十キロは離れているが、

棒手振はなんと天秤棒担いで山を越え、4時間ぐらいで来たというから驚きだ。

この辺りは一応中・下級武士の生活圏であるが、実際は町人たちも混在している。

実は本町の総門やこの先の森の総門を通らずに、川下の橋(今の丸山橋)を渡れば自由に来られることになっている。

本町と森町、町田は殿町、大橋を通らずにツーカーなのだ。

この辺りは色んな階層、職業の者が入り乱れ、日常生活を楽しんでいた、活気のある場所なのだ。

そのことを格斎さんは描きたかったに違いない。

  

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