投稿日:2016年10月16日
鷗外生家辺りから続く堀に沿って、道は大橋の方へ続いている。
現在ではこの堀が埋め立てられ、一部は道路となり一部は宅地となっている。
絵を見ると堀を渡る道が見え、その先に門がある。
土手に囲まれたその門の先は上級武士の住む場所である。
そこへ向かう武士は二人とも肩衣を着こなし、ややかしこまっている。
土手の向こうの場所は津和野川とこの外堀りに囲まれ、ちょうど島のような状態になっている。
ということでこの場所を中島と呼んでいる。
土手には松が植えてあるが、嘉永6年に火事があったばかりで、この松はまだ若い松である。
もともとは竹の生垣だったようだ。
現在中島は津和野小学校となり、二人の侍の歩く横の道は小学校への通学路だ。
堀を埋めた手前には三松堂、先には村田一貫堂という老舗の源氏巻屋さんが建っている。
上級武士の住んでいた門の中の風景は
現在こんなことになっている。
塀の向こうが津和野小学校。
石州瓦の美しい小学校だ。
私の母校である。
と言ってもその時は木造、3代前だ。