投稿日:2016年10月10日
「門の前はお濠で、向こう岸は上の御蔵である。
この辺は屋敷町で、春になっても柳も見えねば桜も見えない。
内の塀の上から真っ赤な椿の花が見えて、御米蔵の側の臭橘(からたち)の薄緑の芽の吹いているのが見えるばかりである。」
これは鷗外の自叙伝的な作品「ヰタ・セクスアリス」の一文である。
第65図のこの横堀米廩こそ、その一文に書かれている風景ということになる。
鷗外の生家はまさにこの横堀の前にあるからである。
格斎さんがこの絵を描かいているのが、明治43年頃だとすると、
鷗外が舞姫を世に出したのが23年なので、鷗外はこのころは押しも押されぬ有名人。
格斎さんはそのことを意識して描いていたのだろうか?どうだろうか?
この絵にはたくさんの蓮の花が咲いているが、鷗外はそのことには全く触れていない。
あまり外に出ず、本ばかり読んでいたせいに違いない。
この横堀、先には縦に900メートルぐらい続いて津和野川に注ぐ。藩邸を守る
外堀と言われているが、表向きはこの辺りが湿地帯であったため、堀を掘って
水はけを良くし、水田を開くのが目的であったらしい。
幕府に無許可で行ったため、後でややこしいことになったとか。
幅は約10メートル、深さも約4メートルもあったようである。明治になって土塁の土で埋められ、
今は道路になっている。時々道路工事などで掘った時、絵に描いてある松の葉や松ぼっくりが
出るらしい。道路に沿って走っている水路は堀の名残でもある。
鷗外生家に来られたら、是非この絵と周りの景色を比べていただきたい。