投稿日:2016年10月08日
老松の黒松が二本立っている。
垂れ枝は棒で支えなくてはならないほど年季がいっている。
よく見ると手前の松には苔が生している。
その歳に呼応するかのように年老いた行商のおじいさんが、天秤棒を担いだまま佇んでいる。
その前には傘を持った近所の奥さん。ということはさっきまで雨が降っており、
おじいさんは商品を濡らすまいと、この松の木の下で雨宿りをしていたのだろうか。
通りかかった奥さんは何も買ってくれなかった。おじいさんは急な雨にたたられた上、商売もうまくいかずなんだかしょんぼりしているようにも見える。
年老いた松、年老いた行商人、それを描いている老いた格斎、老いの三重奏である。
しかし、この松の絵の描き方が狩野派の真骨頂なのであろうか。
下の根っこの鷲づかみといい、幹のはだといい、枝の曲り具合といい、見事な一枚である。
道の真ん中に堂々と松が立っていても、邪魔に思うどころか支え柱で大事にされている。
車社会の現代では考えられない世界である。今より余程ゆとりがあった。
津和野では大橋の先、郷土館の前の松にこの精神が生かされている。