投稿日:2016年09月21日
茶臼山とは全国至る所にあり珍しい名前ではない。
円柱形で茶臼に似れば全て茶臼山だ。
だが茶臼山という名は、津和野には因縁の深い名である。
というのも、亀井家が来る前の津和野城主、坂崎出羽守が関係しているのだ。
時は1615年大坂夏の陣、家康が陣をひいていた茶臼山に、坂崎が助け出した(諸説ある)千姫が
ここに連れられてきたのだ。「千姫を助け出した 者には姫をやる。」この家康の一言が、
津和野城主坂崎出羽守の人生を大きく狂わせたといっても過言ではない。
詳しくは省略するが、そういうことで茶臼山と聞けば坂崎を思い出すのだ。この絵と関係ないけれど。
因みにここ茶臼山にも三本松城の支城があった。戦国時代には用をなしたが、一国一城令で
下瀬山城を始めすべての支城は無くなった。いつかこの山の探索もしたいところである。
この絵、百姓さんは下の家の住人であろうか。沢山の枯枝を集めて帰る時である。
枯枝は火を熾すとき、薪に燃え着く前になくてはならないものである。
その枝を我々は「おどろ」といった。今では死語である。
山陽側から山口線の列車に乗って、この茶臼山のトンネルを抜けると
眼下に赤い屋根の津和野の町並みが見えてくる。
古里に帰ったなーと思う瞬間である。