投稿日:2016年09月09日
この百景図よもやま話もとうとう半分きてしまった。
格斎さんの解説とだぶらないように、ホームページの百景図一覧の解説ともだぶらないように、毎回ネタを探すのが苦労のタネだった。
と言っても私の場合、その絵にまつわる個人的な疑問や思い出、小耳にはさんだ人の話、勝手な妄想などなどで深い内容はほとんどないので多少は気が楽だが。
こんなの読む人いるのかなと内心訝しながら細々と続けている。
若し読まれて、ここはおかしいぞとか、ここはこうなんじゃないかとか
気づかれたことがあれば、ここの遺産センターのFaceBookの方で是非教えていただきたい。
それをネタにまた書けるかもしれない。
さてこの寛助谷には格斎さん、殿様のどんな思いがあったのだろうか?
きれいに刈り込まれている里山。
寛助さんの家?から出る夕餉の煙がゆっくりと谷にたなびいていく。
屋根は庄屋さんの茅葺とは違い藁ぶきのようだ。
軒の藁は切り揃えないで伸ばしたままだ。
貧しそうに見えるが、この煙に
家の温かさや人の温もりが偲ばれる。
こんな長閑さを殿様も目を細めて見ていたのだろうか?
ちなみに絵の左の庄屋さんのお宅であるが、
古くはなったが塀や門が今でも残っており、昔日の面影を映している。
最後になるが、この図についてちよっと気になることがある。
というのは順番がおかしいのだ。喜時雨の瓦窯まで行ってなぜ先ほど通り過ぎた寛助谷に戻るのであろう。
そのまま行けば45図の喜時雨崖の後に来るはずである。そのあと殿様の行列、津和野神社と続けば
順当である。瓦窯から思い出したように後戻りする意味がよく分からない。
それほどにこの寛助谷は百景図に重要なポイントなのだろうか?
百景図の順番で気になるのはここと、五番目のマツタケの二枚のみである。