投稿日:2016年08月28日
さてここは、鷲原時雨の松からおよそ300メートル錦川をさかのぼった所だ。
高田側から喜時雨の崖を見た構図である。川のほとりに小さな穴がある。
周りが茶色くなっている。ここが間欠泉の出る場所だ。現在もある。
50年くらい前はパイプが挿してあって、一定の時間になるとパイプの先からブクブクと鉱泉が湧き出ていた。
手でふたをしてみたり、棒をつっ込んだりしてよくいたずらをしたものだ。
時々口に含んでみたが、まずくて飲めるような味ではなかった。
後に知ったが、これが子供の皮膚病によく効くということである。
この絵よく見ると、笠をかぶったおじさんも、ちゃんと汲みに来て、小さい壺に入れて
持って帰るところである。昔の人は良く知っていたのである。
ちょっとした小道までついている。
格斎さんは、市街図の中では喜時雨の塩水(シホミヅ)と記している。右の端に傘をさした女人の二人連れ。
この先の庄屋さんの母娘であろうか?
そぼ降る雨のさびしい光景に、ちょっとした花を添えている。
この写真は現在の鉱泉の出る場所である。
鉱泉を口に含んでみたら、金気の味がした。茶色い色の正体が分かった。
後日談 後でわかったのだが、この写真は当時の場所とは全く違うところだった。鉱泉が湧き出ているから
ついつい騙されてしまった。これは昭和になってボーリングで新しく掘ったもの。当時のものとは
違うのである。私も百景図を見た時、なぜ上流に向かって赤くなるのか、なぜ上流に橋があるのか、
本来なら下流の位置になるはずなのに、と不思議に感じながら、もしかしたら格斎さんの記憶違い
かと思っていた。が、格斎さんの記憶に間違いはなかった。地元の人の記憶によると昔あった場所は
今の橋より下流にあり、その水を汲んで帰り、温めて子供のあせもにかけたということだった。
現在出ている場所とはわずかに下流にあるのが、百景図に出てくる本物の鉱泉なのだ。
またよく確かめて写真を載せようと思う。格斎さんにまた一本取られてしまった。