投稿日:2016年08月25日
鷲原八幡宮の別当として公園の敷地に幸榮寺という寺があったらしい。
1387年ごろにできたとあるのでそのころは神仏習合。
南無八幡大菩薩、神社の中に寺があるのは当たり前の時代である。
お坊さんが八幡宮の管理人という今では考えられない世界も、昔は普通なのである。
絵をみると立派な寺である。式台の玄関ではなかろうか。
乗り物を寄せれば殿様は履物を履くこともなく、土を踏むことなく、そのまま寺に入ることができる。
毎月6日には御中供を従え御参詣し、左の蔵にある徳川家累代の霊にお参りしたということだ。
当時どこの大名も、お国でそんなことをしていたのだろうか。(隣の長州は考えられないなー)
蔵の前の百日紅の木は、唾で字を書くと、肉をまいてその字が現れたと町図に書いてあった。
格斎さんが唾で字を書いている姿を想像するのも、この絵の面白さだ。
だがこの立派な寺は、今は影も形もなくなっている。さびしい限りだ。