投稿日:2016年08月25日
鷲原七不思議の時雨の松は、
その大樹の影を民部の淵に
映したとある。
私が子供だった 55年ぐらい前、
民部の淵も時雨の松も存在していた。
民部の淵は夏休み水浴び場だった。
淵の上に高い木があり、それによじ登って
そこから淵に飛び降りるのが楽しみだった。
鼻に水が入るので木の葉っぱをくわえて飛び込んだ。(葉っぱが鼻の穴をふさぐ)
4・5メートル上から飛び降りても、決して水底に足は届かなかった。
底は暗くて視界が悪く、たとえついたとしても水面に上がるまで息が持つかどうか。
流れが緩やかで、深い緑色を湛え、水上の木々が暗い影を落とし何か不気味な、
それでいて堂々とした貫禄があった。その懐で子供たちは遊ばせてもらっていた。
ところが最近その淵が全て埋められなくなっていた。目を疑うような光景。
対岸に新しい堤防を造るためだ。
無惨というか、情け容赦もないというか、思い出の淵はその姿を無くしていた。
語り継ぐ我々の思い出もかき消されてしまったような気がした。
しばらく茫然としていた私に一つ明るい光が飛び込んできた。
それは時雨の松のあった場所に二代目の松が育っていたことだ。
格斎さんの時雨の松の情景が、いつか時代をこえて
蘇る日が来るに違いない。
後日談 民部という名だが、地元の歴史を調べているTさんに
よると、その昔、築城時に不慮の事故で亡くなった名も無き「人夫(にんぷ)」たちの
墓があったから「にんぷ」が「みんぶ」になったらしいという説があると聞かされた。