投稿日:2016年08月18日
今も昔も鷲原公園の桜は見ものだ。
赤い毛氈の上で侍も花見をしている。
大酒でも呑んで浮かれているのかと思いきや、なんと片手に短冊を持っている。
和歌か俳句を詠みながら呑んでいるのだ。
カラオケで大騒ぎをする我々(私のことである)とは教養が違うのである。
いつでも歌が詠めるというのは、武士の嗜みでもあったのだろう。
三人の前にはお猪口が一つ。
句ができたら飲むのであろうか?
それともできるまで何杯も飲ませられるのであろうか?
左の侍は箸を持たずに筆を持っているようにも見える。
そばにあるのは矢立であろうか。早くできたので忘れぬうちに書こうと
いても立ってもいられぬというところだろうか。
何とも風流である。
格斎さんは「日暮らしなま酔い気分でヒョウタンぶらぶら」と書いていたが
若しかするとこの絵の左の坊さんは、格斎さん自身かもしれない。
肩に酒の入った瓢箪をぶら下げている。
いずれにしてもこの時代の中下級武士は暇であり、
しょっちゅう集まっては、飲み食いしていたようである。