投稿日:2016年08月11日
鷲原八幡宮のお宮さんや流鏑馬の馬場も含めて
地元では昔から鷲原公園と親しんでいる。
全国にも公園はいっぱいあるが、実は「公園」という言葉が使われたのはここが最初らしい。
造園学の権威吉永博士の述べていることだから間違いはない。
「本当かいな」と思って楼門に入る。すると、そこに古い額がかかっている。
その中に書いてある字に成程、天保三年公園之射場云々という文字が見える。
天保といえば1830年の頃、今から約200年も前だ。
この「公」という文字がパブリックという意味なのか、それとも
亀井公の「公」という意味なのか定かではないが、確かに公園という文字がある。明治の前にも公園は存在していたのだ。
流鏑馬の馬場の跡も、中世の正式な遺構としては国内唯一といわれているし、
建物は国の重文指定であるし、入り口の超巨大な常夜灯といい、ここはすごい場所なのだ。