投稿日:2016年08月03日
殿様が中供を従えて鷲原の幸栄寺
に参詣するところである。
江戸時代の侍の歩き方は右手と
右足を同時に出して歩く
といわれているが、この絵は
まさしくそれを証明している。
この歩き方をなんば歩きというらしい。
語源は難場(なんば=難所)を歩く時に使うからとか
南蛮人の歩き方だからとかあるが、よく分からない。
確かにこの歩き方なら、腰がねじれないので帯が緩みにくいだろうし、
刀もぶらぶらしにくいので武士には都合がいいようだ。
長く歩く場合は疲れにくいという説もある。
それにしてもこのなんば歩きには苦い思い出がある。
学校の運動会の行進練習。緊張すればどうしてもこうなる。
その度に先生に叱られ、列外に出され、後で見せしめに皆の前でやらされ
嘲笑の的になった。昔の人はこうだったんだと、あの時知っていれば
どんなにか心が慰められただろうに。
ちなみにこの絵の石垣の白い塀の上に屋根が見える邸、
多胡の家老の別邸である。
このお邸にあった臥龍梅が、嘉楽園に移植され第八図に描かれている。
もっと後ろの方には法音寺の門が見える。