百景図よもやまばなし

第32図 なんば歩きの苦い思い出

投稿日:2016年08月03日

殿様が中供を従えて鷲原の幸栄寺

に参詣するところである。

江戸時代の侍の歩き方は右手と

右足を同時に出して歩く

といわれているが、この絵は

まさしくそれを証明している。

この歩き方をなんば歩きというらしい。

語源は難場(なんば=難所)を歩く時に使うからとか

南蛮人の歩き方だからとかあるが、よく分からない。

確かにこの歩き方なら、腰がねじれないので帯が緩みにくいだろうし、

刀もぶらぶらしにくいので武士には都合がいいようだ。

長く歩く場合は疲れにくいという説もある。

それにしてもこのなんば歩きには苦い思い出がある。

学校の運動会の行進練習。緊張すればどうしてもこうなる。

その度に先生に叱られ、列外に出され、後で見せしめに皆の前でやらされ

嘲笑の的になった。昔の人はこうだったんだと、あの時知っていれば

どんなにか心が慰められただろうに。

ちなみにこの絵の石垣の白い塀の上に屋根が見える邸、

多胡の家老の別邸である。

このお邸にあった臥龍梅が、嘉楽園に移植され第八図に描かれている。

もっと後ろの方には法音寺の門が見える。

  

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