投稿日:2016年07月29日
百景図は永明寺から突然館の南側の景色へと変わった。
この石垣の門の向こうは城内である。
道の両側にずらーっと並ぶ家は殿の最もそばに使える上級武士の館である。
皆倉を持っている。
と、いっても官舎のようなもの、自分の持ち物ではない。
ここで気になるのは右の二軒目の家、倉に村田と書いてある。
この家こそが、鴎外6歳の時論語を習いに行った村田美実先生のお宅なのである。
この頃はまだ養老館には入れず、直接に先生のもとに習いに行くのである。
母親の峰子さんも鴎外とともにここへ通い、鴎外の学びを支えていくのである。
峰子さんは満15歳で鴎外を産んでいる。今にすれば驚きだが当時はよくある話である。
文豪森鴎外の出発点といってもいいかもしれない重要な場所が、この第30図にはあった。