投稿日:2016年07月05日
鷺舞を津和野に取り入れたのは11代吉見正頼である。
ではなぜ取り入れたのか。
私なりの妄想を述べてみる。妄想だから
根拠はない。
正頼は兄が急逝したため家督を継ぐことになった。
その時、嫁さんは元兄嫁だった大宮姫。
大内氏第31代当主義隆の姉である。兄弟の嫁さんを娶るということは、
昔はよくある話である。ところが姫は病気がちで元気がない。
また夫を亡くしたこともあり、その悲しみから抜け切れない。
そうした大宮姫の心を慰めるため
姫が子供の頃山口で見た、あの鷺舞を見せたらどうかと思いついた。
疫病退散の力がある。それに鷺舞はもともと七夕伝説から来ているという。
一年に一回、カササギが羽を重ねて天の川に橋を架け、
牽牛と織女を出会わすという話だ。
一年に一回ぐらい兄に逢わせてやりたい。
そんな正頼の優しい心がこの鷺舞を津和野に生んだ。
「さーぎが橋をわたいたー」という歌詞を聞くたびにそんな妄想が
沸き起こる。
※こぼれ話
格斎さんの描く鷺。その羽の数を数えてみれば、なんと32枚。現在の39枚と違うのである。
記憶なのでそんなこともあるだろうと思っていたら、なんとなんと現在の39枚になったのは
昭和41年からのことだった。それまでは32あるいは33枚だったとのこと。
格斎さんの描いた鷺舞の羽の数はぴったり合っていたのだ。
恐るべし格斎。失礼いたしました。
ちなみに羽は7×2・7×2・3×2・5の合計で7・5・3を基本にしている。