投稿日:2016年07月01日
北の御門は大手の門と格斎さんは記している。
12図の奥方が出ていた東門は表門と記している。
どう解釈すればよいのだろうか。大手門が表門、
搦め手門が裏門と普通はいう。
すると奥方が出ていたあの大きな門こそ
大手の門ではないのか。よくわからない。
表門は東、北と2門あり北門を大手門としていたということか。
そして殿様や賓客を迎える時などは東門を利用し、藩庁勤めの侍は北の大手の門を利用していたということか?
その気で見ると裃を来た武士は勤めを終えこの門から出てきたようでもある。
すると前の武士は中間と小者を従えて家路につこうとしているようにも見える?
(こちらの武士が相当格が上だ。裃にも柄が入っている。)
この三人の視線の先にいる長い羽織を着た人物は誰なのだろうか。
従者もつけず一人で扇を広げている。
なんでもない一コマだが謎が多い。
誰か知っている人がいれば教えてほしいものだ。