投稿日:2016年06月15日
庭園を持つのは大名のステイタスである。
各地の大名は、それぞれの趣味のよさを競うかのように
造園をしている。
津和野の藩邸にあった庭は、養老館初代学頭「山口剛斎」が名づけた
「嘉楽園」である。
この絵はその庭の一角。
日本庭園のエキスのようなシーンである。
奥の築山は遠くの高い山を思わす。
そのわきから谷水が川となって、曲がりくねりながら
滝となって落ち、そして最後は大きな海となって茶屋の下に広がる。
落水の音が聞こえて来そうである。正面には青石の三尊石。その後ろには片枝を這わすように延ばした
不等辺三角形の老松。小さいながら根っこは土を鷲づかみし、くねくねと伸びる枝振りの描き方は、
まさしく狩野派の絵師格斎さんを彷彿させる。
大きな蘇鉄がある。蘇鉄は昔、富と権力の象徴のようなところがあった。
庶民にはなかなか手に入らない代物なのである。
この木、弱ったら鉄の釘を刺すと元気になるらしい。
鉄で蘇る(よみがえる)から蘇鉄と名がついたと辞書にある。
そういえばこの木の根元に、錆びた釘がばらまかれていたのを見たことがあった。
鉄は金物。別に金を食う木。この木は金がかかるという意味もあるらしい。
成長は意外と遅く、1メートル伸びるのに約40年ぐらいはかかるという。
広島県の廿日市市の蓮教寺の大蘇鉄は、昔津和野藩船屋敷にあったものだといわれている。
この絵の蘇鉄と何か繋がりがあるのだろうか。気になる。