投稿日:2017年06月01日
第三図の城から続く山道を下ると、大手門がある勢溜りに出る。
敵の勢いを溜める、大きな桝形になっている。
ぐるりと囲んだ高い塀の後ろに足場を作り、そこに溜まった敵兵を一斉射撃で倒す、そういった仕組みだったのだろうか?
現在は津和野高校の寮の付近なのだが、
こうした景色はうかがい知ることができない。大変残念である。
だが、この大手門は明治の初め浜田県ができた時移築され、なんと今は浜田城跡の門として残っている。
ところが、百景図でみる限りこの門に一番似ているのは邸の東門なのである。
他の門はどう見ても正面の柱数が合わない。しかし東門は上が屋根でなく、櫓になっているのだ。
屋根は後付けなのだろうか?真相が知りたい。
後日談 勢溜りとは味方の陣営を整え、ここから兵を繰り出すところであった。
敵を迎え撃つというより、ここに味方を集め攻撃の準備を整えるところ。
そうした広場が勢溜りであった。