投稿日:2016年05月26日
そうです。三本松城です。(もとは一本松城と呼ぶ時代もあったとか)
格斎さんは、百景図の解説すべて三本松城と記しています。
そういえば陶晴賢が1554年にここを攻めた戦いも、三本松城の戦いと呼ばれていたような。
本丸と出丸の間に大きな三本松があり、それがもとで三本松城と呼ばれていたようです。
そこには城の生命線でもあった井戸があり、今でも水があふれています。
人はそれを「万代の池」と呼んでいます。
古い歌に「 影映す 三本松の下清水 汲めども尽きぬ 万代(よろずよ)の池 」
というのがあります。松と井戸は確かに同じ場所にあったのでしょうね。
今は安全のためネットが張られていますが、ここに三本松が映っていたのかと思うと
深い歴史の流れを感じます。
城に登ったら是非見て下さい。よろずよの池。