投稿日:2016年05月19日
この絵の時代は1854年以降1872年の頃に、
格斎さんが見た津和野だと前回書きました。
その当時といえば、尊皇攘夷の嵐の中で250年続いてきた徳川政権がひっくり返った大きな歴史の転換期。
津和野でも大村益次郎が奇兵隊を率いて城下に入る入らないの切羽詰まった問題
明治になって隠れキリシタンの人々を153人も預かり改宗を迫った事件
そのうち津和野藩もなくってしまった頃の絵なのです。
そんな激動の津和野なのですが
百景図にはどこにもそんなあわただしい姿は見られません。
上の絵など侍たちは花見で歌を詠み酒を飲み、長閑そのものです。
明治も終わろうとする頃、格斎さんはあえて、藩主玆監公と見た
古き良き時代の津和野の風景や行事、慣習といったものを
残したい、留めたいという一心だったかもしれませんね。
「里治よくやった」亡き殿様の声が聞こえてきそうです。
格斎さんの心は今でも町の人々に引き継がれています。