描かれている年代がはっきりとわかる絵がもう一枚あります。
それは第27図永明寺坂。
玆監候の正室の貢子の君が、永明寺を参詣する光景。
なぜ国元に正室が。江戸住まいなのでは?
実は1862年に参勤交代制度がくずれ、奥方は国元に帰って良いことになったのです。
この出来事は翌年の夏のことなので1863年。
御乗り物の葵の御紋といい、お付きの女中の筒帯といい、この行粧は
津和野の人々を驚かせたに違いありません。
余談ですが、筒帯は筒のように丸めて長いため腰にあたるので
俗に「おいどたたき」と呼んでいたようです。正式には「提帯」。