投稿日:2016年05月13日
百景図の風景は幕末の頃の津和野と言っていますが
一体いつ頃のことでしょうか。
そのヒントは第52図にあります。
石垣の上に大きな杉の切株が見えます。
この切株は1853年の津和野城下の大火事で焼けた杉の木の跡なのてす。
その時格斎さんは満8歳。
廃藩置県で藩がなくなるのは1872年明治4年のこと。
格斎さんは27歳。
ですから厳密に言えば、1854年以降1872年までがこの絵の景色、
殿様と格斎さんの見た津和野ということになるのではないでしょうか。
焼け残った鷲原神社や高﨑亀井邸、永明寺などの一部を除き
弥栄神社も殿様の館も、町屋も、まだ再建したばかりの新しい建物だったに違いありません。
100番目の殿様の遠馬を追いかけているのは、
二十歳前後の一番血気盛んな格斎さんではなかったでしょうか。