お知らせ

萩・明倫学舎を視察してきました。

投稿日:2018年11月28日

  

みなさん、こんにちは。

日本遺産センターの酢屋です。

先日休館日にスタッフ全員で

萩へ視察勉強会に行きました。

  

  

今回の目的は「地形と地質」の観点から

萩・津和野を知ること。

以前から「萩・津和野」とセットで訪れることも多く、

歴史的な繋がりもある2つの町。

実は歴史だけでなく、

地形的な繋がりもあることを知りました。

今回学んだことを

少しだけご紹介していきます。

  

  

午前中はまず、明倫学舎の歴史展示を見学しました。

旧明倫館小学校の校舎を修復した施設内では、

幕末から明治維新、

日本近代化を支えた産業と人物について

わかりやすく展示されています。

  

  

有料施設内の展示品には、

津和野藩亀井家の家紋の入った

鉄砲筒も展示されていました。

  

  

午後からは本題の

「地質と地形」について、

萩ジオパーク専門員の白井さんに

教えて頂きました。

  

  

萩の三角州が出来たのは、

青野山火山群の野坂山が隆起して川の流れを堰き止め、

徳佐に溜まったその水が、

長門峡で決壊したことによるそうです。

津和野の現在の盆地地形が出来たのも、

青野山火山群の隆起によるもの。

つまり萩と津和野は、

同じ火山群の働きによって

生まれた町だと言えるのですね。

  

  

もっとも興味深いお話は、

「地形や地質が人の暮らし・文化につながっている」

ということでした。

昔の人は長い年月をかけて、

城下町の構造、守りに適した土地はもちろん、

畑にしやすい土地、木を植えやすい土地、

石材を利用しやすい土地などを把握し、

暮らしに活かしているという視点です。

  

  

萩の古地図と地形図を見比べてみると、

昔の人がいかに地質と地形を活かしてきたかが

よくわかります。

萩市は、地質や地形の構造だけではなく、

大地の恵みを活かした

多様な文化・暮らしの営みが

日本ジオパーク認定の要素になっているそうです。

  

  

一通りお話をした後は、

まち歩きまでご一緒して頂きました。

古地図に描かれた水路、

地質図の地質のキワなどに注目して、

城下町を歩きます。

  

  

有名な高杉晋作の旧家がある

菊屋横丁。

ほんのりとした傾斜があります。

実はこの傾斜が、地質の変わる境目とのこと。

説明を聞いてからあるくと、

何気ない坂道を登る足取りも

一歩一歩踏みしめるようになります。

  

  

石垣の材質にスタッフも興味深々。

石垣の石の種類で、家の階級がわかるそうです。

食い入るように見ています。

  

  

地質や地形を見れば、

その土地の暮らしや文化がわかる。

ちょっとのヒントをもらえるだけで、

よく知る町の見え方も劇的に変わる。

そんなことを改めて学んだ一日でした。

  

  

「津和野でも様々な視点のまち歩きをしてもらいたい!」

青野山が生んだ気候や恵み、

そこから生まれた文化、

そして津和野百景図に描かれた

古き良きものを大切にする心。

これからもそのヒントを

津和野町日本遺産センターにてご案内したいと思います。

  

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