投稿日:2016年08月06日
【来年で400周年の “津和野踊り”】
みなさん、こんにちは!
お盆が近づいてきましたね。
8月10日~8月15日には
“津和野踊り”が町内各所で踊られます。
写真の人形が来ているのが正式な衣装です。
黒ずきんに白ハチマキという、特徴的な姿。
なぜこんな衣装を着ることになったのでしょうか?
実はこの踊りと衣装には、ある伝説が残されています。
時は戦国時代。
のちに津和野の藩主となる亀井氏がまだ、
因幡国鹿野城(鳥取県の鹿野町)にいた頃の話です。
亀井玆矩は羽柴秀吉に
金剛城を攻略するよう命じられました。
この金剛城は堅固な城で、
正攻法では味方の兵を損するばかりでした。
玆矩が戦略を考えていたあるとき、
金剛城の城主・兵頭は歌舞管弦を好きだと知り、
ひとつの戦略を思いつきます。
玆矩は郷土芸能に新しい舞踊(つわの踊りの原型)を取り入れ、
笛や太鼓を加えて、城下の村々に盛んに踊られました。
人々は喜び、その踊りはたちまちのうちに大流行したのです。
そして天正九年七月十四日、盆踊り大会の日。
城下の人々は普段より美しく装いをこらした姿で
舞いを披露しました。
その一団の中に、玆矩は鎧を来た一隊を変装させて
加えていました。
(これが津和野踊りの衣装の源。
黒ずきんは、甲冑を隠すためのものだったのです。)
一団は踊りながら、しだいに金剛城下に溢れだしました。
敵方、金剛城中の男女は、この一団を見ようと歓声をあげて集い、
ついには城主の兵頭や家臣たちも見物に城を出ました。
踊りも終わりに近づく頃、
にわかに城に火が起りました。
兵頭が気づき城を仰いだときには、
すでに亀井勢の家紋の入った旗がひるがえり、
踊り子の装いはとられて戦士となり、
城はすっかり奪われていました。
玆矩の企てた奇策は、見事成功をおさめたのです。
その後、戦勝の記念として踊り続けた盆踊りは、
亀井氏が津和野藩に移封されたのちも伝えられ、
そのまま津和野踊りとして400年にわたって踊り継がれたのです。
参考文献:「鷺舞と津和野踊り」矢富 厳夫著
このような壮大な物語をもち、
島根県無形民俗文化財にも認定されている津和野踊りですが、
踊りはゆっくりとした動きで、どなたでもすぐに覚えられます。
鑑賞に来た方が参加することもできます。
津和野踊り保存会では
来年の400周年までに、踊り手を400人にしようという目標があります。
みなさんぜひ今年から、一緒に踊りませんか?
お待ちしています!
≪津和野踊り日程(津和野地域内)≫
8月10日 新丁通り(柳まいり)
13日 鷲原 長野
14日 中座 高田 寺田 笹山 直地 名賀
15日 殿町盆踊り大会
≪8月15日盆踊り大会スケジュール≫
■屋台村18:00-
JA島根しろやま前(大橋を渡ってすぐ)
■カラオケ18:00-19:40
JA島根しろやま前
■灯篭流し19:50-
津和野大橋付近
■盆踊り大会 20:30-22:00
殿町(役場前付近)