センター日記

幕末の津和野で起きた大火災―嘉永の大火

投稿日:2026年04月14日

風光明媚な城下町、津和野。今私たちが目にしている美しい町並みの裏には、幕末に起きた絶望的な大火災と、そこから不屈の精神で立ち上がった人々の物語が隠されています。

幕末の津和野を襲った未曾有の難局「嘉永の大火」

江戸時代、木造家屋が密集していた津和野城下では何度も大きな火災が起きました。記録によると、被災500軒以上の大火は江戸時代に6回起きていますが、なかでも最大規模の被害を出したのが嘉永6年(1853年)の「嘉永の大火」でした。

城下の3分の2が焼失した運命の日

嘉永6年4月16日の午後、城下の南西にある法音寺付近から出火。当日は南西の強い風が吹いていたため、火の手は次々と飛び火し、武家屋敷から町人地までを飲み込みました。結果として、城下の3分の2が焼失するという前代未聞の惨事となったのです。

「津和野城下絵図」抜粋

日本遺産センターに展示されている「津和野城下絵図」は、大火後に再建された町並みを描いたものですが、よく見ると火災を免れた建物には「赤丸印」がつけられています。永明寺や光明寺などが、奇跡的に火を逃れたことが今でも確認できます。ご来館の際はぜひ探してみてください。

藩主の決断と、地域を超えた復興の絆

大火が起きた際、藩主・亀井茲監(これみ)は江戸に滞在中でした。火事の知らせを聞いた茲監は、即座に幕府へ帰国を願い出て津和野へ戻ります。その間、現地では藩士たちが亀井家の分家である「高崎亀井邸」を仮の藩庁(役所)として定め、一刻も早い復興に向けて動き出していました。

「津和野百景図」第63図高崎邸

また、大火の直後には近隣の村々からも続々と救援物資が届けられました。当時の絆の強さは、今も「津和野表大火ニ付進物控帳」という記録の中に鮮明に残されています。

堀家文書「津和野表大火ニ付進物控帳」

驚くべきことに、大火からわずか2年後には藩邸や藩校「養老館」が再建されました。私たちが今日、歴史ある町並みを楽しめるのは、先人たちの不屈の努力があったからこそなのです。

現在、郷土館にて企画展を開催中!

津和野町郷土館では、この歴史の転換点を深く掘り下げる企画展を開催しています。藩士たちが火災に直面した生々しい様子や、復興の足跡を間近でご覧いただけます。

  • 【企画展】 「嘉永の大火―幕末津和野城下における大火災」
  • 【期間】 6月1日まで
郷土館企画展チラシ「嘉永の大火」

古地図を読み解いた後に今の町並みを歩くと、
景色が少し違って見えてくるかもしれません。ぜひ足を運んでみてください。

古地図は日本遺産センターへ!

津和野町日本遺産センターでは、今回紹介した古地図や津和野百景図の展示を行っています。コンシェルジュによるわかりやすいガイドも聞けますので、ぜひ一緒に足をお運びください。

コンシェルジュ集合写真
コンシェルジュ集合写真
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