投稿日:2025年11月07日
前回(10/3)の鳴滝神社につづき吉見時代から受け継がれる神社を紹介します。
正中2年(1325)城下吉見七社の一つとして八王子神社を建立しました。
明治元年に津和野藩(亀井氏)により剱玉神社に改称されています。
余談ですが、八王子神社は、東京都八王子市の名称の元となった神社となります。

それでは、行ってみましょう。



津和野駅から太鼓谷稲成方面に向けて県道13号を進み太鼓谷稲成へ右折する30m程手前を左に曲がります。(車でも曲がれますが、その先のトンネルが通れません。参拝は徒歩でお願いします。)
先に人が通れるほどのトンネルになっていますが、大正期の山口線工事のための盛り土で参道がふさがれるためにトンネルとしたものです。(車社会前にできたため人しか通れないトンネルになったと思われます。)
山口線工事前までは、鳴滝神社と同じでこの場所からでも神社が見えていました。



参道の石段を登って行くと鳥居がお出迎えしてくれます。



鳥居の先に本殿があります。
十分歴史を感じる本殿ではありますが、残念ですが吉見時代のものではありません。
(現在の本殿が建立された時期は分かりませんでした。)
与太話ではありますが、明治の初めの観光ガイドでは、津和野の神社巡りが掲載され剱玉神社も紹介されていました。
当時の旅行は御伊勢参りのように神社巡りが主流のように思えます。
剱玉神社について
祭神 (八柱御子神)
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかつはやびあめのおしほみみのみこと)
天之菩卑能命(あまのほひのみこと)
天津日子根命(あまつひこねのみこと)
活津日子根命(いくつひこのみこと)
熊野久須毘命(くまぬくすびのみこと)
多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)
市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)
多岐都比売命(たぎつひめのみこと)
例祭 十月十九日
ご利益 母と子の守護神
次回もできれば吉見七社を探っていきたいと思います。(資料によって神社が違うのはなぜ?)