センター日記

古き良きものが守られてきた鷲原八幡宮

投稿日:2025年09月12日

 津和野の人々は、古くから残る良いものを大切に守り伝えてきたことが実感できる、そんな象徴的な場所の一つが、津和野町内で最も古い建造物である鷲原八幡宮です。

鷲原八幡宮では、令和4年11月から保存修理工事がおこなわれており、拝殿・楼門の解体が終了し、現在は本殿の解体が進められています。

【楼門から450年前の年号が!】

これまでの解体工事で初めて明らかとなったことがいくつかあります。

 まずは、楼門の解体中に「元亀四年」「天正元年」(いずれも1573年で同年)の年号が書かれた墨書が発見されたことです。鷲原八幡宮の建築年代は、神社に残る古文書などから永禄11年(1568)とされていましたので、はじめに本殿が永禄11年(1568)に建てられて、この5年後の元亀四年・天正元年(1573)に楼門が建てられていった可能性があることが明らかとなってきました。

「元亀」「天正」の年号は、NHK大河ドラマによく登場する織田信長の時代で、今から約450年前の室町時代に当たります。当時の大工が年号を記した建築部材が、これまで一度も解体されずに残されてきて、今回初めて発見されたことは大変な驚きでした。

【本殿も建築当時の木材が多く残る】

 本殿の解体工事中に明らかになったことは、向拝(ごはい)と呼ばれる本殿正面の庇(ひさし)が江戸時代の正徳元年(1711)に増築された際に大規模な改造がされたものの、本殿の主要な構造(柱・桁・梁など)の多くは、約450年前の永禄11年(1568)頃に建てられたままであったということです。

解体中の本殿

多くの社寺では、建築されてから修理や建て替えが行われるため、建築当時の材料がそのまま残ることは少ないのですが、ここ鷲原八幡宮では、意外に多くの建築部材が残っていることが明らかとなってきました。

建築当時の大工の技術に加えて、江戸時代以降に修理を重ねながら建物を残してきた大工の技術の高さがうかがえます。

 

【3種の文化財指定と日本遺産はここだけ】

鷲原八幡宮の建物は国の重要文化財、馬場は県の史跡、流鏑馬神事は町の無形民俗文化財に指定されており、3種の指定がされた文化財は津和野町内でもここだけ。

さらにこれらは全て日本遺産の構成文化財となっており、鷲原八幡宮は数多くある津和野町の文化財の中でも代表的な存在と言えるでしょう。

今後、保存修理工事が進んでいく鷲原八幡宮が注目されます。

工事中の鷲原八幡宮

日本遺産センターでは、津和野百景図の中でも多く触れられている鷲原八幡宮についてもご紹介しています。
津和野の文化を“まるごと”感じに、ぜひセンターにもお立ち寄りください。

コンシェルジュ集合写真
コンシェルジュ集合写真
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