投稿日:2025年08月08日
津和野町にある「養老館(ようろうかん)」という藩校をご存知でしょうか?
江戸時代、津和野藩士の子どもたちが学んでいた学校で、その学び舎から後に日本を代表する人物たちが巣立っていきました。その中のひとりで養老館の教師にもなり、日本で初めて“哲学”という言葉を使ったと言われる啓蒙思想家・西周(にし あまね)。明治時代の近代化に大きく貢献した彼が、4歳の幼少期から25歳青年期までを過ごした家が、「西周旧居」として現在も津和野に残されています。建物は国の史跡にも指定され、今なお訪れる人々にその足跡を伝えています。
実はこの旧居、西周が幼少期から暮らしていた建物そのものではありません。
西周が津和野を離れる前の嘉永6年(1853年)に津和野で起きた大火(大きな火事)によって、当時の住まいは焼けてしまい、現在私たちが見ることができる建物は、その後に別の場所から建物を移して再建されたものなんです。
その後、所有者が移り変わる中で住環境を整えるため、下屋を瓦葺にしたり、窓を設置したり、間取りを変えたりと改修が続けられました。
このように「家」は、単に残されるだけでなく、その時代の生活にあわせて少しずつ形を変えて生き続けてきたことがわかります。
平成9年(1997年)から11年にかけては、建物の老朽化にともなう大規模改修が行われました。その際、地中の発掘調査や文献の調査によって、大正13年(1924年)以降に撮られた写真が、建物の再建当時の姿に近いとされ、当時の姿に忠実に近づけて復元されたのです。
つまり、今の西周旧居は「そのままの形」ではないかもしれませんが、当時の暮らしや風景をできる限り再現した姿なんです。
そしてつい最近の令和6年11月には、上屋(建物上部)の茅葺(かやぶき)屋根や、下屋(建物下部)の杉皮葺(すぎかわぶき)の部分がきれいに葺き替えられました。
また、土蔵の扉の漆喰(しっくい)補修や、庭の四ツ目垣(竹で組まれた垣根)の修繕も完了しています。
こうして、津和野では今も変わらず大切に建物を守り続けています。
時代の流れとともに変わっていく町の姿に思いを馳せながら、よみがえった西周旧居を、ぜひ実際に見て感じてみてください。
津和野町日本遺産センターでは、津和野百景図のご紹介だけでなく、津和野観光や文化・歴史のことを常駐のコンシェルジュスタッフがわかりやすくご紹介させていただきます。
ぜひ津和野へお越しの際には、日本遺産センターへ足をお運びください!スタッフ一同、お待ちしております!