センター日記

【津和野歴史】下瀬山城跡に登ってきました。

投稿日:2025年06月06日

5月9日に「津和野の始まり」として木部 中曽野地区にある「吉見氏の屋敷跡」を紹介しました。

今回は、津和野城と同時期に築城された「下瀬山城跡」に行ってきました。

7,8年前に車で連れて行って貰ったのですが、Google Mapで調べると道がない!

当時も過酷な道(木が張り出したり、石が転がっていたり、倒木があったり)だったので道路として認識されてない?

スマホでGoogle Mapを確認してチャレンジしてみます。

(備忘録のためにも道順を含めて書き進めます。)

  

まず、下瀬山城について

築城時期:津和野城と同時期(津和野城築城:1324年)

所在地:津和野町 日原 池村地区(道の駅シルクウェイにちはら付近の県道129号線に入って10Km位)

江戸幕府の「一国一城令」により廃城(1615年発布後に廃城されています。)

1554年の「津和野城の戦い」の際、隣接する益田氏から攻め込まれていますが、撃退しています。

   

それでは、「下瀬山城跡」を目指して出発!

車で津和野城下から日本海側に向けて国道9号線を北上すること20分程度で道の駅「シルクウェイにちはら」付近まで来ました。

「シルクウェイにちはら」の手前の三叉路を左に曲がり県道124号線に入ります。

登って行くと二手に分かれますが、本線(左側)を進みます。

少し進むと左側に案内標識があります。

見え辛いですが一番下に「⇦下瀬山城跡3.9km」とあります。

2,30m先に左に曲がる橋があります。

ここから先は道幅が狭くなるので注意しなが進みます。

  

ここを入って行くのですが道幅が車1台分になります。

途中の分かれ道までは、道路に使用感があり通っても大丈夫そうです。

  

数百メートルで分岐があり、「下瀬山城跡」の立て札があります。

ここを前回は車で登って行ったのですが、今回は一人のため途中で倒木/大きな落石があるとバックで戻ってくることになります。

不安なので少し歩いて状況確認してみます。

 

  

横から木の張り出しが結構あります。

車はあきらめて歩いて登ることにします。

歩いているとサルの鳴き声が!

もしかしたらクマもと思いスマホで音楽を大音量で流します。

(途中、携帯電波が途切れるのでネットは使えません。)

  

20分ほど歩いたところで「アオダイショウ」が迎えてくれました。

だいたい1m位の立派なアオダイショウです。

  

竹藪の中にイノシシorクマ?捕獲用檻があります。

この辺りには居るのですね。

やはり音楽流して正解!

 

少し進むと右側に電波塔がありました。

ここまでは、大きな倒木/石はなく車で登っても大丈夫そうです。

切り返せばUターンもできそう。

(横からの木の張り出しはあります。)

  

やはりありました。倒木

道具(チェーンソー)もなく一人では対処不可能です。

やっぱり歩きで正解!と納得しながら歩みを進めます。

電波塔までは、メンテナンスで定期的に訪れる人がいるため車が通れる様になっている気がしました。

後で教育委員会の方に聞いたのですが、猟期には途中の捕獲檻に行くので道路整備を行っているそうです。

  

歩き出して約30分

「下瀬山城跡」の看板がありました。

ここからは、徒歩でしか登れません。(数分です。)

車5,6台分のスペースがあります。

平成31年3月設置とありますので6年前に設置されたようです。

(画像をクリックすると大きく表示)

  

急なところ、

滑りやすいところには、

ロープが張ってあり安全に登ることができます。

  

到着です。

私見ですが、広さは津和野城出丸位ではないかと思いました。

木陰と切り株で一休みして奥にある看板を見に行きます。

  

昭和42年(昭和55年再建)に設置された、築城から廃城までの経緯が書いてあります。

(クリックで拡大表示)

  

3,4m下は平らになっていて防御陣としても有用と思われます。

周辺にお墓が2基あるはずなのですが、発見できず退散します。

  

以上、下瀬山城跡でした。

   

吉見の治世を感じられる場所が少なくてちょっと寂しいですね。

吉見氏が津和野に来た1282年から関ヶ原の戦い1600年までの318年は、亀井氏1617年から廃藩置県1871年までの254年より長いのですが…

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