センター日記

津和野のGWイベントを少し解説

投稿日:2025年05月03日

津和野のGWは、イベントがてんこ盛りです。

現在は、GWの行楽イベントとなっていますが歴史/背景を知って

「なるほど!」となっていただければと思います。

1.5月3日 令和7年SL山口号運転開始「SLお出迎え」

津和野駅に到着するSL山口号

  ●山口線(山陽線 新山口(小郡)駅と山陰線 益田駅を結ぶ)の歴史
   1913年(大正2年)既設の路線を使い小郡(新山口)ー山口開通
   1918年(大正7年)徳佐駅(島根県堺山口側)まで開通
   1923年(大正12年)益田駅(終点:山陰線接続駅、津和野駅を含む)までの全線開通

  ●徳佐駅までの開通から津和野駅開通まで5年近く時間がかかった理由
   ・1914年-1918年まで第一次世界大戦があり戦後の復旧のため資材需要が逼迫していた。
   ・トンネル区間が多く難工事が推察できます。

  ●SLの運行区間が新山口駅ー津和野駅の理由(なぜ山口線の終点益田駅まで行かないの?)
   背景

   ・1973年(昭和48年)通常の蒸気機関車が引退し無煙化(ディーゼル機関車)へ移行 
   ・1979年(昭和54年)SL山口号運行開始

   SLの運行には、始発駅と終着駅のそれぞれに転車台(機関車の向きを変える円形の装置)が

   必要になりますが、昭和48年の蒸気機関車引退後に益田駅の転車台は既に撤去されていたため  

   転車台が残っていた津和野駅までの運行となっています。

  

   山口線の開通がもう少し早ければ森鷗外(1922年没)も津和野へ帰郷できていたことでしょう。

   森鷗外の遺言書には「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」から生誕地石見(津和野)への

   思いが伺えます。

   ちなみに、津和野駅では、2023年に開駅100周年に合わせて駅舎をリニューアルしています。

  

2.5月3日 乙女峠まつり

日本遺産センター前を通過する乙女峠祭りの行列

  

 ●経緯は、1868年(明治元年)の初めに長崎の浦上村から153人のキリスト教信者が改宗のため

  津和野藩に流配されました。
  そのうち37人の方が殉教されています。
  その後、1951年(昭和31年)乙女峠にマリア聖堂建立
  翌1952年(昭和32年)5月3日 乙女峠まつりが始まり以後毎年5月3日に開催されています。

 ●何故、津和野藩に153人のキリスト教徒が流配されたの?
  ・明治政府は10万石以上の西国大名にキリスト教徒を改宗目的に預けられました。
  ・津和野藩は4万3千石なので10万石には遠く及ばないのですが、
   当時津和野藩は、国学(神学)にとても熱心(藩校養老館の国学を本学と改める程)で改宗に

   自信があったと為と考えられます。


   また、流配者の中に「聖母マリア様に似た人を見た」と伝わっていて日本で唯一の聖母マリア様

   降臨の地とされています。

   

3.5月5日 青野山ハイキング

日本遺産センター後ろに聳える青野山

青野山は、10万年以上前に溶岩ドームが隆起した火山です。

青野山は、青野山火山群に属し、15もの火山で構成されている大規模なものです。

現在は、竹や木々が生い茂る山となっていますが、津和野百景図(幕末の頃)には木は一切なく

茅場(茅葺屋根に使われる茅の群生地)として利用されていました。

このことから当時はまだまだ瓦葺の屋根は少なかったことが伺えます。

 

以上、津和野GWイベントの歴史と背景でした。

#tsuwano100

#津和野観光

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