センター日記

【秘境を撮る】『津和野百景図の世界』へ。中座・前編

投稿日:2017年01月07日

「思わずシャッターを切りたくなる」

そんな津和野の知られざる場所を津和野百景図を手掛かりに探す、
【秘境を撮る】シリーズ第5弾。

今回は特に写真が多いため、前後編2部作でお伝えしたいと思います。

  

津和野城下町絵図にも描かれている白枠の箇所「中座(なかざ)」という場所をご紹介します。
城下町の南西に位置し、中心部から自転車で7分、歩いて20分ほどでしょうか。

  

のどかな田園と、歴史の面影が混在する風景。
コケの生えた石垣や、レトロな酒蔵、黄金色の稲田など、写真を撮る人なら、きっと心揺さぶられる景色があるはず。

津和野の観光名所でもある森鷗外の旧宅や記念館、以前紹介した鳴滝とも近いので、合わせて訪れることのできる場所です。

  

まずは目印となる
「高砂酒蔵資料館(財間酒場)」を目指します。

殿町通りから大橋を渡りまっすぐ、警察署やスーパーが見えたら、左に曲がり、すぐ右に曲がり、さらに南へ向かいます。

  

ゆるやかな坂を5分ほどのぼると、左手に巨大な白壁が見えてきます。

  

「高砂酒蔵資料館(財間酒場)」
江戸時代寛政3年(1791年)から続く老舗の酒蔵です。
国登録有形文化財に認定されています。

  

中は資料館になっており、昔の酒造りで使われていた樽や釜などの道具を見ることができます。

  

昔の酒造りの様子を描いた壁画。

  

のれんには「創業寛政三年」の文字が。

  

現在使われている酒樽も特別に見せて頂きました。

  

高い天井に張り巡らされた梁(はり)。
今では真似できないような、贅沢な一本木が使われています。

「思わずシャッターを切りたくなる」財間酒場さんは津和野に来たらぜひ訪れて欲しい場所です。

  

さて、財間酒場を出てお隣に、昔ながらの赤いポスト。
背景の石垣に重厚感がありますね。

  

苔や植物の生えた姿に、歴史の深さを感じます。
実はこの石垣、津和野百景図に登場してくるのです。

  

第六十三図「高崎邸」

ここには津和野藩主亀井家の分家(親戚)である、高崎亀井家(こうさきかめいけ)の本邸がありました。
人の大きさと比べると、壁の高さがわかります。
広大な敷地に見上げるほど高い位置にある屋敷。
城下町南西の端に位置していたことから、
万が一戦に備えて、南西の守りの役目を持った造りだったのでしょう。

  

第六十四図「高崎の松」

この絵にも高崎邸の塀が描かれています。
行商の人でしょうか、木の下に佇む背中の曲がったおじいさんも描かれています。
となりの女性が傘を持っているので、雨やどりでもしているのでしょうか。

  

現在、石垣の上は公園や公民館民家や棚田ができ、
おじいさんはもちろん、子供も憩う場所になりました。

  

ポストのうしろに、人が一人乗れるくらいの段があります。
どうやらここが見張り番の立つ台だったとのこと。

  

さて、今度は財間酒場と赤ポストのあいだの道を進みます。

  

踏切を越えたあたりで、ぽっこりとした小山と、鳥居が見えてきます。

  

ここは丸山と呼ばれ、高崎亀井家の敷地の端にあたるところ。
歩いてみると、どれだけ広大なお屋敷だったかがわかります。

  

下山神社の鳥居。
丸山は「津和野城下町絵図」にも描かれています。

  

①がポストがあった、高崎亀井家の正面あたり。
②が丸山です。こうして古地図をもとに歩いてみると、150年前と現在を比べることができます。

  

丸山に沿うように、さらに山へと続く坂道を登ると、現在の国道9号線へとつながるのですが、笹山という場所に続く峠道ものびています。
実は、丸山から笹山を抜ける道は、津和野のお殿様がかつて参勤交代で通った道だったのです。

宮島のある広島県廿日市まで津和野街道と呼ばれる旧道が今でも一部残っています。

  

第四十六図 「喜時雨庄屋の前」

津和野から江戸まで、片道およそ1ヶ月。
今は飛行機も鉄道もバスもありますが、当時の人は草鞋で峠を歩いたのですから、本当にすごいことですね。
お殿様の行列が通った道のりを辿りながら、ハイキングしてみてはいかがでしょうか?

  

次回はさらに中座の奥、門林へ。
古い石垣の棚田や水路、樹齢不詳の巨木など、
「思わずシャッターを切りたくなる」そんな美しい風景ばかりでした。

「【秘境を撮る】『津和野百景図の世界』へ。中座・後編 」へ続く

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