投稿日:2023年03月17日
津和野城のふもと、現在津和野高校の敷地には、亀井家最後の藩主で名君の誉れ高い亀井茲監公の御殿が存在した。
そこには藩主自慢の庭園があり、名は「嘉楽園」といい、園の名は初代養老館学頭・山口景徳が命名した。
明治の世になり、ここに元家臣たちの有志が玆監公の高徳を永く後世に伝えるため、園の中心に頌徳碑を建てた。
そこに立っているのが立派な亀井公のブロンズ像。
仰ぎ見ると、やや洋風な端整な顔立ちにみえる。。。
このブロンズ像は、明治初期美術研究のためにドイツへ留学していた亀井玆監の養子、玆明の設計によりドイツで鋳造されたものだ。在住大学の教授の指導を受ける等、研究を重ね、当時としては美術的にも、優れた斬新なものだった。
頌徳碑の計画書以来2年もの歳月を経て、明治24年に完成し、盛大な除幕式を挙げ、ここに玆監公の雄姿を再び仰ぎ見ることとなった。
碑の題字は三条実美、そして碑文は西周作。
明治新政府の中枢的役割を担った三条実美
神道国教化を推進した玆監公
維新の偉大なブレーン西周
三者の合体がここにある。
このようにみてくると、この碑は当時のわが国最高の作品といえる!
銅像としては日本における初期の頃のものとしても有名であり、我が国でもっとも古いかもしれないといわれているのだ!!!