センター日記

【津和野の歴史】左鐙の龍谷(たったん)たたら跡

投稿日:2026年08月08日

こんにちは、乃中景です。

今回は、左鐙公民館主催「歴史探訪 ブラさぶみ ~たたら跡を探そう~」に参加しましたので皆様に紹介させていただきます。

 

  

朝9:00に左鐙公民館に集合して総勢14名で現地に向かいます。

国道187号 大魚トンネル脇の旧道に車を停めて高津川に降ります。

清流高津川はとても綺麗でした。

  

河原広くて参加者の先輩は子供の頃ここで泳いでいたそうです。

少し上流には鮎釣りの人も

  

舟で対岸まで運んでもらいます。いつもは夜に鮎を網で捕まえるために使用している舟だそうです。

最近雨が降っていないせいで水量が減って大分水位が下がっているとのことです。

 

無事対岸に上陸できました。 

  

少し進むと何やら石が積んであります。炭焼き窯の名残だそうです。

 

険しい道中が続きます。

  

今度はお墓が。今回は行きませんが登って行くと沢山のお墓があるそうです。(日原町史には300とも)

 

コンクリートの壁が! 昔のつり橋の基礎だそうです。

  

正面から見ると横幅3mはあります。

  

道が2段になっています。昔の営林署が伐採のために作った道だそうです。

  

杉林に見えますが、平らで住居跡だそうです。上にはまだこの様な住居跡があるそうです。

  

堰堤がありました。

  

まだまだ進みます。

  

この辺りがたたら跡①

  

この辺りがたたら跡②

  

この辺りがたたら跡③

  

この辺りがたたら跡④

  

この辺りがたたら跡⑤(これは炭焼き窯の跡だそうです。)

  

たたらの炉は現在は確認できません。ではなぜここにたたらがあったとされるのでしょう?

  

たたらで出た鋼にならなかったノロ(鉄滓)が沢山出てきます。たたら炉があった証拠です。

高津川から回収したノロ

  

たたら跡を見に来ましたが、左鐙の山には昔は、沢山の人の生活があったことが、じんわり伝わってきた気がしました。

 

今住んでいる津和野地区でも杉林の中に立派な石垣があったりで、津和野城下が栄えていたことが伺えます。

では、また来月お会いしましょう。

  

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