投稿日:2026年07月10日
「津和野百景図」は、津和野藩領内のさまざまな情景を描いた画集です。その中には、なぜこの場面を描いたのか不思議な絵もあります。その代表的なものが「第25図 牧氏の孟宗竹」でしょう。この絵に描かれているのは、津和野藩の家老(藩主を補佐する重臣)を務めた牧家の屋敷にまつわる一場面です。

画面中央に立派なたけのこが横たわる、とてもインパクトのある絵です。背景に竹林もありますが、主役は明らかにこの大きなたけのこです。絵につけられた解説も、「牧氏の邸宅の後ろの山に竹藪があり、その大きさは近辺では稀なもの」、とあっさりしています。
百景図には他にも食べ物を扱った絵がありますが、例えば「第5図 城山の松茸」は松茸狩りの様子を描いたもので、松茸そのものが主役の絵ではありません。また、百景図の中で藩の公的な建物(藩邸など)以外の、個人の屋敷の敷地内を描いたものは、この第25図だけです。
それでは、絵師・栗本格斎は、なぜ牧家の屋敷の竹藪を描いたのでしょうか。
牧家に残された古文書から、その理由を想像してみましょう。

牧家文書には、享保9年(1724)に記された「牧図書屋敷拝領之覚」という史料があります。ここには、寛永2年(1625)頃に牧家が津和野城下の殿町に屋敷地を拝領したこと、2代藩主・亀井茲政がたびたび牧家の茶屋を訪れ、鉄砲(狩り)を楽しんだことが書かれています。
また、牧家の屋敷図「拝領屋敷差図」を見ると、屋敷の後ろの山の中ほどに、この茶屋があったことがわかります。


この図には、7代藩主・亀井茲胤の時代に、茶屋の近くに鉄砲打場が作られたという注記もあり、歴代の藩主たちが繰り返しこの山を訪れていたことがうかがえます。さらに図面をよく見ると、茶屋に至る道沿いや茶屋の向かいに、竹藪らしい樹木が描かれています。
最後の藩主・亀井茲監も、きっとたびたびこの場所を訪れ、格斎もついて行ったのではないでしょうか。竹藪を通り抜けたとき、あるいは藩主がたけのこを掘らせる様子を目にしたときに、その大きさに驚いたのかもしれません。その印象が、百景図の一場面になったのだと想像してみるのも面白いですね。
「牧氏の孟宗竹」をはじめとする津和野百景図は、津和野町日本遺産センターでご覧いただけます。牧家の屋敷があった殿町の周辺を歩きながら、格斎が見ていたかもしれない竹藪の面影を探してみませんか。ぜひ津和野に足を運んでみてください。

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