投稿日:2025年07月04日
6月26日(木曜日)に放送された、
NHK 「最強の城SP 夏だ!祭りだ!絶景だ!」で見事津和野城が第一位に選ばれました。
今回は緊急企画として「津和野城」がなぜ?第一位になったかを私の主観でお伝えします。
まず津和野城の基本情報からです。
築城:1295年から1324年の9年間で完成(2024年築城700年)
城主:吉見 頼行(よしみ よりゆき)
合戦:1554年「津和野城の戦い」にて陶 晴賢に攻め込まれ104日間の籠城の末、亀王丸(後の広頼)を人質とすることで和睦。
本題の「最強の城SP」第一位の根拠を考えます。
●歴史的な側面
・鎌倉時代に築城され江戸幕末まで使われていた城は貴重です。
100名城のほとんどが戦国時代以降の築城で、津和野城以前に築城され天守閣が現存するのは、備中松山城と宇和島城の2つだけです。
江戸時代初期の一国一城令で山城は、ほぼ解体(津和野の下瀬山城も)されています。
・100名城の中でも鎌倉時代の築城で築城年、築城者が分かっている城は貴重です。
お城Expoに100名城、続100名城の紹介パネルが設置してありましたが鎌倉時代以前の城は年代、築城主が不明のものがほとんどで津和野城の様にはっきりしているものは稀です。
・「津和野城の戦い」で実際に籠城戦を行っており、多数の曲輪、堀切が残っている。
●現在の取り組み(ここ5年ほどで津和野城の整備が進む)
・絶景の確保。石垣の周りを中心に多くの木を伐りました。(主に杉などの針葉樹)
・参道の整備。リフトを使わなくてもスニーカーで登れる程に整備されています。
・ライトアップ設備導入。夏季は19:00-22:00までライトアップしています。
・築城700年イベント開催。 千田嘉博先生の公演、春風亭昇太師匠のトークイベントなどで津和野城のすばらしさをアピールできたこと。
千田先生、春風亭昇太師匠もプライベートで津和野城に登られていて千田嘉博先生は石垣を絶賛され、春風亭昇太師匠は何十年ぶりの津和野城で当時に思いを馳せておられました。
城下の石州瓦の街並み、正面にそびえ立つ青野山は、やはり第一位の絶景です。
蛇足になりますが…
●「津和野城の戦い」の翌年に陶晴賢は「厳島の戦い」で毛利元就に敗れます。
毛利元就は、「津和野城の戦い」で陶晴賢が津和野城に張り付いている間に大内氏家臣の有力者を駆逐/取り込みを行い陶晴賢を討つ力をつけていきます。
吉見正頼が陶晴賢を津和野に引き付けていなければ、後の毛利氏はなかったとも言えます。
●なぜ津和野城が江戸時代に残ったのか?
「関ヶ原の戦い」まで津和野の守護大名は、吉見氏ですが関ヶ原の後は毛利家家臣となり長州へ行ってしまいます。
同じように近隣には益田の七尾城がありました。
七尾城の益田氏も毛利家家臣となり長州へ行ってしまうのですが、七尾城はこの時、廃城となります。
七尾城を残して津和野城を廃城にしても大差なさそうな気がします。
津和野城が素晴らしかったので廃城を免れたと信じます。
最後に、
先週末(6/28,29)の「お城Expo in 松江」に出展したきました。
「最強の城SP」の放送日が2日前だったこともあり大盛況でうれしい悲鳴を上げておりました。
ブースへ来ていただいたお客様大変ありがとうございました。
津和野ブースの記念ショットを特別掲載します。
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