投稿日:2017年10月17日
「思わずシャッターを切りたくなる」
津和野百景図の風景を通して、そんな津和野の知られざる美しい場所を紹介する
【秘境を撮る】シリーズ第7弾。
今回は「森村(もりむら)」という場所をご紹介します。
城下町絵図でいうと、図の白枠あたり。
津和野駅から殿町通りを経て大橋を渡ったあたり。
以前秘境シリーズで紹介した 鳴滝、中座、鷲原へ行くまでの通り道に位置しています。
森村はかつて、武家・商人・代官など、異なる役柄の人が混在する場所でした。
津和野百景図 第六十九図 「森の本町下モ手」
津和野百景図の中でも、武士らしき人、行商らしき人、お坊さんに母子など、様々な役柄の人が行き交う様子が描かれています。
この道は山陰道を通り日本海へ抜ける旅人たちの交通の要衝でもありました。
今でも筆頭庄屋の屋敷を利用した杜塾(もりじゅく)美術館や、江戸時代の面影を残す旧道、神社、寺、棚田、昭和の雰囲気の残る商店、鉄道の線路なども交わり、時代の移り変わりを感じられるエリアです。
スタートは津和野町日本遺産センター。ここで津和野百景図と現在の津和野についてコンシェルジュの
解説を聞いてみましょう。
まち歩きに出発!!
センターを出たら左にまっすぐ、殿町を通って大橋を渡ります。
大橋を渡ったら、振り返って上を見上げて見てください。
傾きながらも、立派な松が立っています。
津和野百景図 第二十二図「大橋」
大橋の横、同じ位置に松が描かれています。
この松の二代目にあたる松が今もすくすくと育っているんです。
傾き方も似ていますね。
その松の木の下に、古地図❶の郷土館があります。
今回はこのルートで、江戸時代から残る古道を中心に歩きます。
「郷土館」
9:00-17:00 月休(月祝の場合は翌火曜休)
ここで道中、津和野の歴史に触れてみてください。
郷土館を出たら、建物の裏にまわるように、川沿いの道を入ります。
薬局の手前を右折、小道へと入ります。
町の中心にあるにも関わらず、一本小道に入ると、シンと静まりかえって、町の息づかいを感じられるのが津和野の魅力。
昔の道がそのまま使われている三叉路。
途中左に曲がり、山へと続く坂道へ。
徐々に津和野の町が見下ろせる高さになっていきます。
坂道が行き止まりになったあたりに、町を見下ろす棚田があります。
古地図❷の「主水畑(もんどばたけ)」です。
私有地なので、許可を頂いて入らせていただきました。
この主水畑(もんどばたけ)は、
江戸時代津和野藩の家老をつとめた多胡主水によって開墾されたことから名づけられました。
当時の原型が残る非常に貴重な棚田です。
立派な石垣。
津和野は山々に四方を囲まれているため、こうして米をたくさん作る工夫をしてきたことがわかります。
夕暮れに染まる棚田の姿。
そこから眺める城下の町並みや城山の景色も、素晴らしいものでした。
さて、一度森村の細道を下って、
今度は古地図❷→❹へと再び森村の中通りを歩きます。
このあたりも、古道がそのまま使われているので、道がぐねぐね曲がっています。
この土壁の家を目印に左へ曲がります。
お寺に向かう参道の途中に、❹「山沿いの道」を発見。
ここから入ってみます。
幅1mくらいの狭い道が続きます。
探検しているようなドキドキ感。
この道も古地図❹に描かれているものと思われます。
小道を抜けて次の通りに出たら、左の坂道を登ります。
道が二股に分かれた道の狭間に立つ❺「最勝院」。
三角形の敷地に立っているお寺です。
ここも古地図にも描かれていますね。
その右手に伸びる階段を登ると、
細道の先に鳥居が見えます。
ここが古地図❻の「剣玉神社(けんぎょくじんじゃ)」です。
古地図にもしっかりと剣玉神社の姿が描かれているとおり、昔から森村に住む方々が大切に守ってきた神社。
手入れがされた美しい社殿。
境内は小高い場所にあり、
そこから見える景色がこちら。
鳥居越しに見えるのは、
赤い石州瓦の城下町と山の中腹にある太鼓谷稲成神社。
ここまでは急な坂道を登りましたが、なんとも得をした気分になれる場所です。
来た鳥居とは別の鳥居から、再び町へ降りていきます。
振り返ると、ちょうど建物の間にまっすぐのびる階段。
参道を残して建物が建てられたことがわかります。
さて❼のあたりで列車の線路に突き当たりました。
大きな通りに出たと思ったら、
道に添って右か左に歩いてみてください。
そこに古地図❼「2つのトンネル」が現れます。
右に進むと・・・
背の低い、暗いトンネル。
左に進むと・・・
もっと低いトンネル。
勇気を出してどちらかを通ってみましょう!
今回は右のトンネルをくぐってみます。
トンネルをくぐるとそこは・・・
続きは後半へ・・・。
【秘境を撮る】『津和野百景図の世界』へ。森村・後編
をお楽しみに。