平成22〜25年で水質日本一にもなった高津川は、支流を含めると津和野百景図の主役の一つ、と呼べるほど多く描かれています。
ただし、百景図に描かれている高津川は「清流」としてではなく、人やものが往来する交通の大動脈として、描かれているのが特徴的です。水辺を巡ってドライブ、サイクリング、ウォーキングへ!
なにはともあれ、まずはこちらに。
コースとその途中で見られる構成文化財の予習をしていきましょう。
こんなに町に近い場所に滝があるとは!
津和野警察署から徒歩5分ほど。現在も付近の飲料用に使われているほど水量が豊かで、なおかつ清らかな流れにはっと驚くはず。
古くから信仰の対象とされていて、今日も変わらず神秘的な雰囲気をたたえている。
津和野百景図→【第六十五図、第六十七図】
津和野地区から日原地区へ向かう途中、JR青野山駅がある直地(ただち)という土地から見上げると、青野山が見事なシルエットを見せてくれます。
麓耕(ろくごう)地区では、青野山の麓に丹精こめてツツジを育て、満開のゴールデンウィークには大きな鯉のぼりを何匹も泳がせる「つつじまつり」を開催します。
津和野百景図→【第八十、八十二図ほか】
津和野城下町から日原地区に向かう途中に小直(おただ)という土地があります。その山中に渓谷があり、数百メートル間隔で渓流に落ちる滝があり、まるで夫婦のようだと、地元では雄瀧、雌瀧と呼ばれています。百景図では、遊歩道の手前側にある滝を雄瀧と紹介しています。頭上から落ちてくる瀑布を受け止めるかのように、見上げる瀧。赤い岩に伸びる白糸のような流れが美しい。
津和野百景図→【第七十七図】
百景図では遊歩道の奥側にあるものを雌滝としている。藩主隠岐守玆監候しばしば遊覧した場所であり、雌滝は斜面を滑るように降りてくる水を間近に見ることができる。特徴が異なる滝がこれだけ近くにあるのは珍しいことです。
百景図にはここを含め滝が4か所描かれているが、藩主はよほど滝を愛でるのがお好き? だったようだ。
津和野百景図→【第七十八図】
日原の南、左鐙の畳石と呼ばれる川原を描いた。川は高津川の上流、地元では吉賀川と呼んでいる。絵にはおびただしいほどの鮎が描かれている。当時はこうした天然物の鮎が、川面を埋めるほどに遡上していた。闇夜に網を張り、たいまつの火を振って追い込み、一網打尽にしたという。
この辺りは平家の落人伝説が残る深山であり、河原の風景も神秘的なたたずまいを見せる。
津和野百景図→【第八十六図】
人丸とは万葉集に数々の歌が収録されている柿本人麻呂のこと。石見国高津鴨島で没したと伝えられている。
津和野藩第三代藩主亀井茲親(これちか)が天和元年(1681)に、人麻呂が詠んだ歌にちなみ高角山に遷座した。拝殿は津和野城から遥拝できるように、津和野の方に向いている。もともと人丸神社は鴨島にあったが、地震で島ごと水没したという壮大な伝説にも彩られた神社である。
津和野百景図→【第九十一、九十二図】
高津の谷間を、風で運ばれた砂が堆積して、せき止めてできた淡水湖である。竜がとぐろを巻いたような形をしていることから、その名がついた。
冬季は水鳥が多く飛来して越冬する場所だったと里治は記している。現在は水鳥の影は少ないが、周囲のクロマツの林は健在で、百景図に描かれた風情は今も感じられる。蟠竜湖県立自然公園として整備され、今は憩いの場となっている。
津和野百景図→【第九十四図】