投稿日:2016年12月28日
津和野の盆踊りは、中世念仏踊りの振りと黒頭巾の衣装で踊るという非常に変わった、我国でも珍しく、貴重な盆踊りとなっている。
亀井玆矩公が鳥取で戦国大名だった時に、敵城金剛城(こんこのじょう) を攻める時、手ごわかった敵の大将兵頭源六が、踊りが好きだという情報を手に入れ、盆踊りの夜、兵士一同この衣装の下に甲冑を纏って敵国に潜入させた。
そして、踊り見物で油断していた源六の城に火を放ち、慌てふためかせたうえに、
攻め滅ぼしたという、実に勇ましい伝説がこめられた踊りである。
この衣装で敵を欺いて勝ったと、言い伝えながら踊り続けて400年。
京都の色町から聞こえてきそうな三味の音と色っぽい小唄(?)に、ゆったりとした踊り。
そんな奥にこんなエピソードが潜んでいようとは。びっくり桃の木である。
さてこの絵であるが、このお囃子隊の台座を支えている足場の丸い木は何かお気づきだろうか?
ところどころにある三角形の形。なんだろうかこれは?
実は餅つきの臼。臼を三つ重ねて足場を作っていたのである。三角形は指を入れて持つところ。
然る人に「これは津和野独自なんですか?」と尋ねると「あちこちにあります」とさらりと言われた。
盆踊りは死者の御霊を呼ぶ聖なる儀式。そんな時には神の宿る、聖なる道具を使うという。
そういった習わしは、昔からあちこちであったということなのだ。
成程、昔話の花咲じじいにあるように、臼でつくと小判が出てきたり、
臼を燃やした灰から花を咲かせたり。臼は不思議な霊力を持っている。
何はともあれ、来年はこの踊りが津和野に伝わって満400年。
これを記念に400人の輪になって踊ろうと全国に呼びかけている。
みなさんも是非輪に入っていただき、400年の歴史の重さを実感していただきたい。
その時は古式豊かに、餅つきの臼が登場するかもしれない。