投稿日:2016年12月07日
蟠龍湖は季節風によって吹き上げられた砂に川が堰き止められてできた湖である。(地震説もある)
龍が蟠(わだかま)る形をしているところから名が付いたというのだが正直なところ、どこをどう見たら龍がとぐろを巻いている様に見えるのか、なんとも難しい。
さて、この湖には小さな穴が開いているのをご存じだろうか。
1700年代の初めごろ、津和野から高津の庄屋さんになった長嶺嘉左衛門さんの仕事である。
蟠龍湖の東側は広い土地(現翔陽高校前)がありながら水の便が悪く、土地の者はみんな苦しんでいた。
それを見た嘉左衛門さんがこの蟠龍湖に目をつけ、財を投じて穴を掘ったわけである。
全長約200メートルの小さなトンネルであるが、両側からノミだけで掘り進めたという。
大変な難工事である。石見銀山から掘り師を雇ったらしい。水の出口側から入ってみると、
中の通路は大人がすれ違いができない狭さである。背もかがめなくてはならない。
ところが湖側からの穴は、3メートル以上の高さを持つところもある。
両側から掘り進めたときに高さが合わず、湖側を掘り下げたためであると思われるのだ。
壁をみると当時のノミの跡がはっきりとわかる。サザエの殻の中に油を入れ、芯を通して灯りを作った。
サザエ灯を置いたと思われる凹んだ場所もところどころある。
穴が開通し42町歩の田んぼに水が張った時、村人たちはどんなに喜んだことだろうか。
しかし、その後、嘉左衛門さんは、穴がきちんと合わなかった責任を取らされ切腹になったとか。
(その経緯について真偽はよく分からないことがある。知る人がいれば教えて欲しい。)
地元では毎年秋祭りに、大元神社の祭礼にあわせ、嘉左衛門さんに感謝のお祭りをしているそうである。
このトンネルは300年たった今も現役で、立派に水を通し大きな仕事を為している。
現在湖のほとりに、「唯心居士」の名で嘉左衛門さんの顕彰碑が建てられている。
格斎さんも、こんな歴史を胸に秘めながらこの絵を描いたのではなかろうか。
左は蟠龍湖
夏は足漕ぎボートで賑わう
右が唯心さんの碑
碑は翔陽高校前に広がる田を見ている。