投稿日:2016年09月22日
この絵は手抜きかいなーと思わせるような絵である。
ベターとした山。
Yの字を逆さにしたような道。
馬と馬子。遠くに一人。
手前に松。
ところが実際こんな景色なのである。
陶ケ嶽と言えばかっこいい名であるが、私たちは子供時代「陶ケ嶽」なんて呼んだためしがない。
大陰山(おおかげやま) である。大陰山は北向きで暗いのだ。
だから年中こんな感じで、格斎さんはこの山のイメージをズバリ表して「その通りです」と言うより他ないのである。
現在テレビの中継アンテナが山上付近に立ち並んでいる。
いつかこの場所から城跡を見下ろし、陶晴賢の思いに迫ってみたい。
さて、百景図には馬子が多いのだが、こんなに皆さん利用していたのだろうか。
馬は時にはトラックとして時にはタクシーとして、この時代の陸上輸送の重要な役割を担っていたということなのだろうか。
街道を行く馬、山里を行く馬、船に乗る馬などこの後たくさん登場する。
因みにこの写真、陶晴賢が三本松城を攻めた時(1554年)に置いていった茶釜である。
陶の菩提寺「龍文寺」の銘が打ってあるのが証拠。
なんと大正10年の鉄道建設の時にこの山の麓から出土発見された。
104日の籠城戦で何とか死守した吉見氏であったが、敵はお茶を
愉しみながら戦をしていたのだ。
毛利に本陣をつつかれ、急いで引き返したため置いて帰ったものと思われる。津和野の郷土館に展示されている。
これも是非見ていただきたい。