投稿日:2016年09月04日
喜時雨(きじゅう)には、瓦を焼く窯があった。
津和野が嘉永六年に大火事があった後フル回転で瓦を焼いたのである。
喜時雨はもともと焼き物にいい土がとれ、古くから焼き物をしていたに違いない。
その証拠に元武社の地には、埴安神社があったということだ。
埴安様とは焼き物の神様である。
ということで先日この図を訪ねて窯を探しに出かけた。
それらしき場所を見つけたが窯跡が見当たらない。土地の人に聞くと
「大きな松はあったがのー。いつか倒れたいの」と教えていただいたが
肝心の窯はご存じなかった。がっかりして元武社に向かった。が、これが良かった。
地図の看板があったのだ。それで先ほど行ったところの山裾にある、ということが分かったのだ。
慌ててひっくり返し山に分け入った。ちょっとした斜面を登ると、
あった。
焼き窯の石組みがしっかりと残っていた。やぶ蚊に食われながらやっと48図に巡り逢えた。
これがその時の写真。
登り窯の壁になった石組みが土の下から覗いていた。そしてくすんだ色の赤瓦の破片も。
確かにここに人がいて一生懸命瓦を焼いていたのだ。
津和野は大火事の教訓から、藁屋根や板葺屋根を瓦屋根に変える必要があった。
瓦窯はここだけでなくあちこちに存在していたことだろう。
秋が深まって、やぶ蚊がいなくなったらもう一度ゆっくり写真を撮って帰りたい。