投稿日:2016年12月10日
「思わずシャッターを切りたくなる」津和野百景図の風景を通して、そんな津和野の知られざる名所を紹介する【秘境を撮る】シリーズ第4弾。
今回は「幾久(いくさ)」という場所を目指します。
「幾久(いくひさ)しく…」という美しい大和言葉を連想させる漢字ですね。
幾久へは、
前回紹介した鷲原・喜時雨を通って一本道。
道中、さっそく百景図に似た風景に出会います。
第四十九図「喜時雨瓦釜脇仮橋」
絵の奥に描かれた杉の森が、お殿様が鴨狩りをする御猟場があるところ。
朝なのか、家が隠れるほど霧がかっていますね。
現在も秋から冬にかけて、朝霧がたち込めます。
このあたりは、山を合間を縫うような大曲がりが多く、霧がゆっくりと進行方向を探しながら、迫ってくる様子が見られます。
ちなみに百景図にはこのような霧がかった絵がいくつか見られます。
昔も今も、霧の多い土地柄は変わらないようですね。
第五十一図「幾久鴨御猟場」
49図の杉の森の中にあった鴨の猟場。お殿様が狩りに出る頃には、「御猟方」と呼ばれる家臣2名がここへ来て鴨を飼い整え、猟期に備えていました。粗相があってはならないと、鴨の管理に奮闘している家臣の姿を想像してしまいますね。
第五十二図「藩候幾久鴨御猟略供」
いよいよ御猟場に向かうお殿様の行列。早朝4時ごろの出立だったので、高く提灯を掲げる姿が描かれています。
第五十三図「幾久の峠」
49図と同じく、杉の森が描かれているのが御猟場。山の麓はお殿様が御猟場に向かう道のため
通行を禁止され、庶民はわざわざ峠を登って降りなければなりませんでした。
絵に描かれた二人の旅人は「やれ疲れた」という様子で、青野山と城を眺めながら一服しています。
53図の現在地がこのあたり。遠くに見える丸い山が青野山。
絵と変わらぬ姿で見ることができますね。写真左手が山になってますので、そのあたりの峠を
庶民は歩いていたのでしょうか。
このカーブを曲がりきったところに、バス停があります。
バス停の名前をよく見ると、「戦」となっています。
昔「幾久いくさ」は「戦いくさ」と書き、ここは戦場になった場所でもあるのです。
時は戦国時代の1554年、陶隆房(すえたかふさ)は益田藤兼(ますだふじかね)と共に津和野城を包囲、4月17日に始まった合戦は104日間も続き、12回に及ぶ激戦が繰り広げられました。
津和野城下で起こった唯一にして最大の戦でした。
ちなみに、敵方の陶軍が陣を敷いた山は、陶ヶ嶽(すえがたけ)と呼ばれ、百景図にも描かれています。
第五十九図「陶ヶ嶽」
津和野から見るとこの山は、いつも正面が日陰になっているので、絵でものっぺりとした陰影のない色合いで描かれています。
現在の陶ヶ嶽。
こんな高いところにいる敵陣と睨み合いながら、津和野武士は104日間も耐え抜いたのですね!
「戦」という地名が残るほど、大きな出来事だったのだろうと想像できます。
何気ない地名の背景にも、さまざまな歴史や由来が含まれていてそれらを知ってから見る景色はまた一味違います。