投稿日:2016年09月04日
ここの神社の縁起については百景図解説に詳しいので省くとして、ここにある宝物について書いてみたい。
ここの神社には、我国ではなんとも珍しい「フランキ砲」が
3門も置いてある。
ほとんど人の来ない静かな神社の片隅に無造作に置かれているのだ。こんな貴重なものが。
フランキとは中国語でポルトガル人、南蛮人をさす言葉らしい。
漢字では仏狼機砲と書く。日本では一般的に石火矢と呼んだ。
16世紀の後半に大友宗麟が使って人々を驚かしたらしい。
別名「国崩し」と異名がついた。威力というより、その音の凄まじさに度肝を抜かれたのだ。
大阪の冬の陣でもこのフランキ砲が使われたらしい。
砲身は青銅製で、火薬は別の鉄製のカートリッジで詰めるようにしてある。
そのカートリッジはないので全体像はつかめないが。
この大砲、秀吉の時代大陸に出征した時、亀井玆矩公が戦利品として持ち帰ったと伝えられている。
津和野では計五門あり、残り二つは郷土館にある。
全国にどれほどあるのか知らないが、先日呼子の名護屋城の資料館で小さいのを見た。
フランキ砲は青銅製で、銅は高価であることやガス漏れ事故も多く使用期間は短かったと聞く。
津和野に来られたらフランキ砲は必見である。
後日談 どうやら我が国では9 門しかないらしい。世界でも12門ぐらいしかないだろうといわれている。
一説には国宝でもおかしくないといわれているが。亀井氏が坂崎氏の城引継ぎの時、
石火矢三門と目録にあるところを見れば、坂崎氏の頃からあったようなのだ。
喜時雨の物は坂崎氏のもので、郷土館のものは亀井氏の所有物だったといわれている。
今後の検証が楽しみである。