投稿日:2016年09月04日
中供を従えて喜時雨の津和野神社(元武社)へ、年二回参詣する図である。
これは9月の頃のようだ。
身分によって出で立ちが異なっている。
上級の侍は肩衣に熨斗目の小袖、一文字笠でぴしっと決めている。
ここで私が気になっているのは、殿様の駕籠(御乗物)と駕籠かき(いわゆる六尺・陸尺)。
なんとこの乗り物網代仕立てなのである。武家諸法度には、大名の格式によって使っていい駕籠が
きめ細かく決められていたようである。亀井公は四品になったためにこの籠が許されているのである。
気になるのは駕籠かきの衣装、六尺看板の後ろの腰に挿してあるものである。
ちょっと見ると「ハリセン」に似ている。これは一体なんだろう。
永明寺参りにも六尺はこれをつけている。勿論参勤交代図にも。
この「ハリセン」は気になる。一説に大名の駕籠を担ぐ者は、殿様に尻を見せなくてはならない。
当時尻を見せるほどの失礼はない。そこで殿様の駕籠かきには、尻尾になるようなものをつけた。
尻尾があれば牛や馬と同じ。人間ではないということになる。人間でなければしょうがない。
そういう理屈をつけていたのだ。
そうするとこの「ハリセン」は尻尾代わりだったのか?
ハリセンの芯は当時獣の皮を使ったとあるので、あながち間違いではないかもしれないが?
どなたか詳しい人がいたら教えていただきたい謎である。
「ハリセン」というのも正式名称があれば教えてほしい。