投稿日:2016年08月17日
この絵どう見ても流鏑馬であるが、格斎さんは「やぶさめとはいいがたし」と城下町絵図の解説の中で述べている。
その理由に行縢(むかばき)もないし綾藺笠(あやいがさ)もないということである。
青原の弥三郎が初めてやったので、「やつさ」と呼んでいるのだと百景図解説にある。
そして射手は地元の百姓(農夫)だという。
ということで、武士のやる流鏑馬とは一線を画していたようだ。
武士の流鏑馬を百姓が真似するということで、武士はからかい
馬は爆走し、百姓は必死で的をねらう。
後を追い駆けるは、落馬の時の介抱役か、はたまた、ためらう馬の鞭役か?
そんな図に見える。いずれにしても祭一番の盛り上がりだったに違いない。
私が子供の頃にも、近くの馬車引きのおじさんがこの大役を果たしていた。
大きな脚をした駄馬にまたがり、衣装もなんとなくそれらしく装い、普段のおじさんではなかった。
どっかどっかと的に近づくと、そこで馬は一旦停止。おじさんはじっくり狙って、
ひょうと矢を放つがこれが的外れ。馬はそのまま呑気に放尿。
ぱらぱらといた祭の観客(ほとんど地元民)は、大笑い。実にのどかなお祭だった。
今は鎌倉の小笠原流宗家の皆さんが、華麗な流鏑馬神事をされるようになった。
地元のお祭というより日本のお祭になっている。